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デバイス応用演習No.8(2008)

9月19日、デバイス応用演習、後期最初の授業です。   後期の学生は、前期の学生達の発表を見ているので、作品の出来に期待が高まります。 というプレッシャーに負けないようにがんばってください!   まず手始めに、アイスブレイクの「たこ紹介」。 それぞれ、自己紹介をして、相手の情報を引き出します。   入学当初とは違い、もう大学に慣れたせいか、会話はスムーズに進んでいました。 オーディエンスの前で自分がまとめた事を発表する というのは、後々の作品発表でも役立ちます。もちろん卒業後も。           では、次にマウスを分解します。       基盤を取り出し、通電するか確認。 一見複雑そうに見えて、以外に単純な構造。 これが知れるだけでも価値があります。   こいつが、スイッチ。 このスイッチをマウスの基盤に取り付けます。 その作業には、導線とはんだ付けの作業が必要になります。     導線は、いらなくなったパソコンのモニタのケーブルを使用します。 太い線ですが、カッターで分解すると、細い導線の集合体であることが分かります。 いらなくなったものを使用するなんてリーズナブルですねぇ。   その導線とスイッチをはんだ付けします。     来週からは、この改造した基盤を元に第一課題の 作品制作に取り掛かってもらいます。魅力のある作品を楽しみにしています。TA長嶋

“SouvenirMailbag” asanoLab Workshop 2008 in Izu Ohshima

asanoLab夏合宿では、”SouvenirMailbag”というワークショップを行いました。 配られたのは、クッション材の入ったメールバックと、鉛筆、鉛筆削り、メンディングテープ、そして、この指示書です。 “SouvenirMailbag” asanoLab Workshop 2008 in Izu Ohshima ●目 的 伊豆大島でみつけた「あなたの気持ち」を封筒に詰め、誰かにプレゼントする。 ●概 要プレゼントの内容は、今回の合宿で手に入れた物なら、道ばたに落ちていた物、植物、その他なんでも構いません。「楽しさ」「悲しさ」「うれしさ」「懐かしさ」など、伊豆大島でみつけた「あなたの気持ち」を封筒の表に書くタイトルと内容物だけで第3者に伝えるワークショップです。 ●制作条件プレゼントは今回の合宿中に見つけた物、出会った物、手に入れた物に限る。封筒に収まるサイズの物を選択すること。プレゼントは封筒内の用紙の内側にドラフトテープで貼り付け、封筒を封印する。 手紙、文章などは添えない。 封筒の表にタイトルを書く。簡潔に書くこと。  ●発表方法 回収し、無作為に配布する形式のプレゼント交換を最終日に実施。 ●制作のポイント 受け取った人が封筒を開けたときに何らかの感動を感じるように、タイトルや内容物を工夫してください。 これは、各自が、伊豆大島で見つけた、思い出を友人に送るワークショップです。 インタラクティブアートの基本は、受け手側が作品の外観に何を感じ、さらにその後何らかの動作を通して、作者のメッセージを感じるという流れをどのように演出するかにあると思います。 このワークショップでは共通のフォーマットとして、同じ封筒を配布し、「封筒の表書き」という外観と、「封筒を開ける」という動作を通して内容物に触れるという一連の流れを演出する、インタラクティブアートの基礎訓練でもあります。 タイトル:旅 タイトル:街の静けさと自然

asanoLab 夏合宿

9月9日〜12日に3泊4日(うち船舶泊1日含む)で伊豆大島へ夏合宿にいってきました。 毎日コンピューターとばかり向き合っていてはいけない!ということで、インタラクティブアートの新たな発想を求め、「普段やらないことをやる」をテーマに伊豆大島で草木染めをしたり、三原山に登ったり、海へ行ったりと、様々な体験をしてきました。

Keynoteでテキスト作り

本日も引きこもり。ひたすらKeynoteでFlashのテキスト作りをしています。 授業の段取りを整理するという意味もありますが、やればやるほど、本を買わせた方が良いようにも思えてきたり。 まあ、授業スタイルにあったテキストというのはなかなかないので、急がば回れで頑張った方が、結局いいのかもしれませんが。

ゲリラ

ゲリラ豪雨が今にも迫ってきそうな今日この頃。 ひたすらパソコンに向かって授業の資料作りをしております。 分からないとは言わせないためのFlashの基本的な解説資料 初めてKeynoteを使ってみていますが、スクリーンショットを併用すると、かなりさくさく資料が作れて良いです。 PPTでいつもいらいらするレイアウト崩れとかも今のところないです。 あ〜、先は長い。3時間の授業なのに資料作成にすでに半日以上かかってますな・・・

Export for Webmailが素晴らし

もともとEudoraユーザーで、ラベルを多用していたのだが、 YahooBBの設定変更で、Eudoraが利用できなくなり、 OSXのMailを使っていたのだけど、どうしてもラベル付け(タグ付け)がないと 不便を感じるので、Thunderbirdに移行しようとしたら、 アドレス帳の変換で手間取った。 いろいろソフトを試したけど、どうも文字化けしたり、 データー量が多いと落ちたり。 で Export for Webmail http://storklab.cyber-ninja.jp/index.html を試したのだけど、最初、Thunderbirdのインポート画面で文字化けしたので、 だめだと思ってそこであきらめてたら、いろいろ他のソフトをいじってさんざん遠回りして、 もう一度、文字化けしたまま、インポートしたらアドレス帳側では文字化けせずに表示されてた。 う〜〜〜む。だいぶ時間をつぶしてしまった。 でも、インポート画面の文字化けさえ気にしなければ、かなり便利。

人に教えるという勉強

改めて思います。基本的なことを教える授業なのだけど、普段使わない機能だとか細かいことだとか、いざ教えるとなると、いろいろ勉強が必要なものですね。なかなか準備も大変でございます。

NHKワンダーストリートに参加

8月16日(土)に東京・渋谷のNHK放送センターの横「ケヤキ並木通り」で行われた「NHKワンダーストリート」のデジタルスタジアムブースに佐藤真理子と浅野耕平が参加しました。 http://www.nhk.or.jp/digista-blog/200/10829.html 途中雲行きが・・・ 案の定、土砂降りに・・・ その後、なんとかお天気も回復し、展示方法を変えて乗り切りました。 ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。

Arduino導入

Arduino http://www.arduino.cc/ をずいぶん前に買って、ちょっといじって放置してあったのですが、 ようやく作品に活用してみました。 LittleLightをたくさん作りたいと考えているのですが、 一番のネックはコスト。 1個につき1PCだと、とてもとてもたくさんは作れないし、 1PCに複数のLittleLightというのも不可能ではないですが、 ケーブルの引き回しが煩雑になるのと、いずれにしても台数に限界があり、 シンプルに1個1個完結させたかったのでArduinoを使ってみました。 とりあえず、電池駆動はまたにして、 PCを使わないという部分だけ実現。 とりあえずプロトタイプですが、 Arduino miniを使えば、超小さくなります。 もうちょっとうまいことやれば、 1個につき1万円ちょっとで作れるのではと思います。 電池駆動も次時間ができたら挑戦してみようと思います。 ArduinoはProcessingでプログラムしますが、 実は、Processingを作品で使うのは初めて。 ActionScriptと感覚的にはほぼ同じで、思いの外、スムーズに扱えました。 これはいいかも。

インタラクティブアートの神髄

最近アートについてお酒を飲みながら盛り上がったので、 今、頭に渦巻いていることのメモ ーー アートの神髄は、 その人自身からにじみ出たその人自身の存在が具現化したものにある と、僕も思う。 ここに感じるものを アウラと言ったりするのだろう。 そうしなければならない そうせざるを得ず、表出してくる表現。 そこに、その人自身の存在や、存在意義、 「わたくしは何者であるか」という問いなどがかいま見える。 その力はとても強いと思う。 少し視点を変えてみる。 人は1人では生きていけない。 誰かと関わることを自然と欲する生物だと思う。 ずっと1人でいる人は、自然と独り言がふえ、 声を発することで第3者的に自分と触れあう。 自身の中から醸し出される表現もまた、 相手を誰とは決めずに、他者との関わりを求めて無意識に表出されるものではないか。 無意識に他者(もしくは客観的な自分)を意識した自己の表出。 ここでインタラクティブアートについて考えてみる。 自己表現としてのインタラクティブアートは 恐らく、意識的に他者(もしくは客観的な自分)を意識した自己の表出と言える。 なぜかということは、書く必要がないと思うが、 所謂アートが、 「その人自身の存在」や、「存在意義」、「わたくしは何者であるかという問い」 を強く表すものであるとするなら、 インタラクティブアートは 「あなたと私の存在」や、「共存の意義」を表現することが可能で、 あなたと私(或いは、彼と彼女)が今、この瞬間を共有している意義を問うことで、 「我々は何者であるかという問い」を表現することが可能であるし、 そこに表現の意味や、表現としての強さがあるように思う。 仮に「彼と彼女」という第3間の関係性を表現の主体とした場合、そこに作者自身の存在は見えづらく、所謂美術に求められる表現の強さはないが、 「第3者間の関係性」に何が秘められているかに目を向けると、所謂美術とは違った強い表現が見えてくるのではないかと思う。