インタラクティブアートは終わったのか?

何年か前のデザインチャンネル(テレビ東京 金曜深夜)で、建築家の大江匡
さんが今の情報社会について面白いことを言っていました。

T型フォードを普及させたフォード氏がもし今現在ここにいたとしたら、フォ
ード氏は車の進化には驚かない、なぜなら、四輪、ハンドル、アクセル、ブレ
ーキという基本構造は何も変わっていないから。彼が驚くのはむしろ、車によ
って引き起こされた社会の変化に対してだろう。車が社会に影響を与え、例え
ば宅急便というものができ、瞬時に荷物が届くといった車が社会に与えた変化
に彼は驚くだろう。
WIN95が出てきたのは1995年。コンピュータの世界を車に置き換えて言うなら
ば、T型フォードが出て数年しかたっていない時点にいることになる。これか
ら、コンピュータによって、社会はどんどん変化し続ける。

言葉の通りではないですが、このような趣旨のことをおっしゃっていました。
このことは、インタラクティブアートに関しても同じことが言えるように思い
ます。表現の世界にコンピュータが持ち込まれ、インタラクティブな技術を用
いた作品が数々発表され、一時は非常に注目を浴びました。しかしそうした熱
狂は収まり、センサー技術などの目新しさもなくなり、技術的な新規性が薄れ
たことによってインタラクティブアートにあった新しさという魅力が急速に薄
れてきています。これはメディアアートという言葉に置き換えても同じことが
言えるかもしれません。

メディアアートという言葉を持ち出すと話が拡散してしまうので、ひとまずイ
ンタラクティブアートに限って考えてみると、私たちの今置かれている状況と
いうのは、コンピュータ技術を用いたインタラクティブな環境がようやく一般
化しつつあり、誰しもがそれらを当たり前と感じ始める入り口にいるのだと思
います。そうした中、目新しさではなく、インタラクションの本質的な価値や
意味に目を向けた表現が、これから更に育って行く段階にあるのではないかと
思います。

映画の初期は、工場から人が出てくるところを上映しただけで映画として成立
しました。これは動画を記録再現出来る技術への驚きがその映画への関心の中
心であったからだと思います。インタラクティブアートのこれまでは、映画の
初期と同じ段階にあったように思いますし、一般社会においては今もまだそう
いう状況は続いていると思います。
100年以上前に映画のシステムが開発され、動画を記録再生出来ることは当
たり前になりました。その後、映画という表現は様々に発展し、今も一つの表
現手段として発展し続けていると思います。インタラクティブな環境が当たり
前になったあと、そのインタラクティブな環境で何を表現するのか、そこには
表現としての大きな可能性がまだまだ無限にあると僕は思います。

asanoLab Press

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