市販の液晶ディスプレイじゃなくて、基盤むき出しのキットを売ってくれるお店。
先日同窓会があり、友人が小学6年生の子供を連れてきた。
彼はDSを持ち歩き、家ではWiiを楽しむごく一般的な小学生。
どうやら家ではWiiスポーツでかなりの腕前を披露しているらしい。
で、その同窓会の2次会。
我々おじさんおばさんたちは何年ぶり、
いや、何十年ぶりかにボーリングなんてものをやることになった。
そしてその小学生は初めて体験する本物のボーリングで現実に直面する。
Wiiリモコンで投げるボーリングと、自分の手で投げるボーリングは勝手が違
うという現実に。
当たり前と言えば当たり前だが、
リモコンを用いた入力動作がより現実に近いだけに、なんだか出来る気にさせ
てしまうWii。
そしてそういった環境が一般家庭のテレビの横に、普通に置かれている日常。
これはいろいろな意味で面白い。
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電気。押したら動く。最も単純なインタラクティブな形。
壁のスイッチをONにしたら電気がつく。OFFにしたら電気が消える。
決して裏切られることの無いシンプルな対話。
彼氏が尋ねる。今日何食べたい?
彼女が答える。なんでもいい
彼氏が尋ねる。中華は?
彼女が答える。なんでもいい
彼氏が尋ねる。イタリアンとかどう?
彼女が答える。なんでもいい。
これはインタラクティブな関係だろうか?
インタラクションは、究極的には人と人が対話する環境を指すのだと思う。
それは決して特別なことではなく、日常的に我々が日々行っていること。
その日常的な行為をテクノロジーを用いて再現しようとした時、
インタラクションという言葉が必要になってくるのだと思う。
人間の対話には様々な段階がある。
非常に深い意思疎通の元に行われる対話がある一方で、
上辺だけの対話もある。
同様にインタラクションにも段階があり
用いられるテクノロジーによって、実現可能な対話の深さが違うのだと思う。
だからといって、電気を点けるというインタラクションが、
人間関係に置ける上辺だけの対話を意味するというわけではなく、
単にインタラクションに深度の違いや複雑さの違いがあることで、
表現の幅に違いがあるという話。
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だいぶ前にやっていた、マンガ家の浦沢直樹氏が出演したトーク番組を見た。
その中で、マンガでは読者の時間の流れを作者がコントロールすることが出来
ない、だからここで一拍置くとかそういうサインをマンガに籠めているという
話があった。
映画や音楽は始まりがあり終わりがあって、鑑賞者は作者もしくは演奏者の意
図した時間軸を予定通りに共有することが出来る。作者はその時間軸を自由に
操ることで鑑賞者を誘導し共感へと導く。
その一方でマンガは読者がマンガを読むスピードを作者はコントロールするこ
とは出来ない。そこで浦沢氏は、無言のコマを入れる等して「間」を作品に籠
めるのだそうだ。
時間軸のコントロールを鑑賞者に委ねているという点はインタラクティブアー
トにも共通する部分がある。そしてインタラクティブアートでは、より積極的
に様々な方法で「間」が作品に籠められているように思う。どういう行動に出
るか予測不可能な観客の行動を酌み、どういった間を持ちながらインタラクテ
ィブな関係を構築して行くのか。どういった間を作品に籠めて行くのか。
正確に言えば、インタラクティブアートの場合、鑑賞者の時間軸をコントロー
ルすることもしないことも可能であり、だからこそ、そのバランスもまた重要
であるように思う。
鑑賞者の時間をどのように扱うか、これはなかなか難しい課題であるとも思う。
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モビール
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB)
は、最も単純なインタラクティブ作品としてよく例に挙げられる。
自然の空気の対流、あるいは人の動きによって空気の流れに微妙な変化が起
き、その空気の流動によってモビールが動きフォルムが変わる。特に人の動き
によってフォルムが変化する場合、そこに人と作品との物理的な対話があるよ
うな感覚が得られる。しかし、おそらくモビールの場合、表現の主体はフォル
ムの変化にあり、造形的な変化が作品としての面白みの中心にあるように思う
し、そのように理解されるのが一般的なのではないかと思う。
その一方でコンピュータインタラクションはモビールが実現しうるインタラク
ションと比べ、より多様な対話が可能だと思う。どちらが優れているかという
ことではなく媒体の特性として、インタラクションの過程、あるいはバリエー
ションを記録出来るという点が、インタラクションに多様さを生むのだと思
う。これによって、鑑賞者の働きかけに応じて様々な反応を返すことが可能で
あるし、意図的に反応を返さないこともできる。作者は、その対話の過程を意
識し、意図的にインタラクションの時間軸を作品の中に事前に記録することが
出来る。この場合、作品の主体はインタラクションによって変化する作品のフ
ォルムにあるのではなく、作品と鑑賞者の物理的な対話に表現の主体があるよ
うに思う。
単にインタラクションだけに目を向けると、鑑賞者の働きかけによって起こる
変化を有する作品は、全てインタラクティブであると言えると思う。そこで、
インタラクションを用いた表現の主体はどこかということに目を向けてみる
と、従来の表現では難しかったコンピュータを用いるからこそ可能となる表現
の可能性が見えてくるように思う。
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http://www2.media.t-kougei.ac.jp/~asanolab/wp/wp-content/uploads/474945fbb25d7-thumb_DSCF11161.JPG
エリカ様がポスターのメインビジュアルになっている東京都現代美術館のSPACE FOR YOUR FUTURE展に行ってきました。センサーを使ったインタラクティブ作品はほとんどありませんでしたが、建物3階分くらいはあろうかという、浮遊する巨大オブジェは空気の流動に応じて動くという意味ではモビール同様のインタラクションを感じます。
あとLEDを利用したドレスは、光の変化が何かしらのセンシングに応じたものでないにしても、その服を身につける人の動きに応じてフォルムや光の見え方が変化するという点はインタラクティブであるとも感じられます。衣服全般がもしかするとモビールと同じようなインタラクションの要素を持つのかもしれない。2008年1月20日まで
東京都現代美術館
http://www2.media.t-kougei.ac.jp/~asanolab/wp/wp-content/uploads/473febf5b6b28-thumb_Image153.jpg
http://www2.media.t-kougei.ac.jp/~asanolab/wp/wp-content/uploads/473febf69f471-thumb_DSCF09941.jpg
21_21 DESIGN SIGHT で水と戯れてきましたインタラクティブ作品もいくつかあります
展示としての完成度はやはりとても素晴らしく 撥水ペーパーの作品をまだみたことがない方には特にお勧めです
先日のザイムでご一緒した川崎義博さんのacua scapeも素敵です
2008/1/14まで六本木 東京ミッドタウンで開催中
http://www.2121designsight.jp
11月16日。今日も最初に、様々な作品の映像を見ました。
後期も残り少なくなってきて、発表会も近くなってきました。
魅力ある作品を期待してます。
各班、話し合いで決めた使えそうな素材を集め、実験を重ねてます。
こういう時の学生達の真剣な表情は、心を打たれます。学生達の作品制作を
楽しんでいる雰囲気が伝わってきます。作品は作者が楽しんで作れば、それが作品に
良い影響を与える事もあります。
グループ制作なので、時には一旦落ち着いて、状況を確認し合う事も大切です。
そして、考えが詰まったら、心置きなく、他のグループの人達や、先生に相談してみると
案外良い打開策が生まれてきたりします。
次の授業は祝日で一週空きます。
後期は度々、授業との間に休みが多いですが、
なんとかモチベーションを維持してもらいたいです。