インタラクティブアートの神髄

最近アートについてお酒を飲みながら盛り上がったので、
今、頭に渦巻いていることのメモ

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アートの神髄は、
その人自身からにじみ出たその人自身の存在が具現化したものにある
と、僕も思う。
ここに感じるものを アウラと言ったりするのだろう。

そうしなければならない
そうせざるを得ず、表出してくる表現。
そこに、その人自身の存在や、存在意義、
「わたくしは何者であるか」という問いなどがかいま見える。
その力はとても強いと思う。

少し視点を変えてみる。

人は1人では生きていけない。
誰かと関わることを自然と欲する生物だと思う。
ずっと1人でいる人は、自然と独り言がふえ、
声を発することで第3者的に自分と触れあう。

自身の中から醸し出される表現もまた、
相手を誰とは決めずに、他者との関わりを求めて無意識に表出されるものではないか。
無意識に他者(もしくは客観的な自分)を意識した自己の表出。

ここでインタラクティブアートについて考えてみる。

自己表現としてのインタラクティブアートは
恐らく、意識的に他者(もしくは客観的な自分)を意識した自己の表出と言える。
なぜかということは、書く必要がないと思うが、

所謂アートが、
「その人自身の存在」や、「存在意義」、「わたくしは何者であるかという問い」
を強く表すものであるとするなら、
インタラクティブアートは
「あなたと私の存在」や、「共存の意義」を表現することが可能で、
あなたと私(或いは、彼と彼女)が今、この瞬間を共有している意義を問うことで、
「我々は何者であるかという問い」を表現することが可能であるし、
そこに表現の意味や、表現としての強さがあるように思う。
仮に「彼と彼女」という第3間の関係性を表現の主体とした場合、そこに作者自身の存在は見えづらく、所謂美術に求められる表現の強さはないが、
「第3者間の関係性」に何が秘められているかに目を向けると、所謂美術とは違った強い表現が見えてくるのではないかと思う。

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