モビールとコンピュータインタラクション

モビール
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%AB)
は、最も単純なインタラクティブ作品としてよく例に挙げられる。
自然の空気の対流、あるいは人の動きによって空気の流れに微妙な変化が起
き、その空気の流動によってモビールが動きフォルムが変わる。特に人の動き
によってフォルムが変化する場合、そこに人と作品との物理的な対話があるよ
うな感覚が得られる。しかし、おそらくモビールの場合、表現の主体はフォル
ムの変化にあり、造形的な変化が作品としての面白みの中心にあるように思う
し、そのように理解されるのが一般的なのではないかと思う。

その一方でコンピュータインタラクションはモビールが実現しうるインタラク
ションと比べ、より多様な対話が可能だと思う。どちらが優れているかという
ことではなく媒体の特性として、インタラクションの過程、あるいはバリエー
ションを記録出来るという点が、インタラクションに多様さを生むのだと思
う。これによって、鑑賞者の働きかけに応じて様々な反応を返すことが可能で
あるし、意図的に反応を返さないこともできる。作者は、その対話の過程を意
識し、意図的にインタラクションの時間軸を作品の中に事前に記録することが
出来る。この場合、作品の主体はインタラクションによって変化する作品のフ
ォルムにあるのではなく、作品と鑑賞者の物理的な対話に表現の主体があるよ
うに思う。

単にインタラクションだけに目を向けると、鑑賞者の働きかけによって起こる
変化を有する作品は、全てインタラクティブであると言えると思う。そこで、
インタラクションを用いた表現の主体はどこかということに目を向けてみる
と、従来の表現では難しかったコンピュータを用いるからこそ可能となる表現
の可能性が見えてくるように思う。

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